やっと言える
2017年
再び僕は奈落の底へ
毎月養育費は払えるようになり、2回だけ娘に会うことができた。
最寄駅で久しぶりに目が合うと、にっこり微笑んでくれる彼女
それを見て涙が止まらなくなった。
泣き顔を見られたくないから抱きしめた。
最後に会えた日
家路に着いた頃に前妻から突然の連絡が来た
『再婚することが決まったので、養育費は、もう要らないから二度と娘には合わないで欲しい』
何を言っているのか、理解するのに少し時間がかかった。
心が苦しくて、悲しくて、寝ても覚めてもどうにか出来ないかだけ考えて過ごした。
ちょうどその頃、ルクアイーレで働き始めていた。
仕事には入っていると、娘と同い年くらいのお子さん連れの姿を、見るたびに自然と涙が溢れていたりした。
1日が過ぎるのがとても、とても長く
何も予定がない日も、何もしなかったと言うより何も手に付かなかった。
知人の弁護士に相談しても、今の日本の法律ではどうにもならない(ならない事も無いけれども)良い結果になった事例がない事を告げられた。
自分の気持ちに蓋をして過ごしていたら、大阪から東京へのヒッチハイクに誘われて、何もしないよりはと誘いに応じた。
ヒッチハイクで乗せてくれた運転手さんの内の2人もバツイチで、我が子と会えていない先輩だった。
『生きていたらいつか向こうから会いに来てくれる』
お二人とも同じような事を教えてくれて、始めのうちは受け入れられなかったけれど、少し心が晴れた。
そして、今はこう考えいる。
娘も僕もどこにいても、何をしていても幸せだ。
多少の困難に見舞われても、それは乗り越えられる壁やハードルだ。
もしかしたら、その壁は張りぼてで横からひょいと覗き込めばベニヤ板程度の厚さかも知れない。
今でも会えるなら、この手で抱きしめて一緒に遊んで笑いたい。
でも、すぐにそうなる事は無い。
僕が今できる事は、何も考えずに直感を信じて楽しく生きていく事。
僕は今日も楽しく暮らしています。
僕を助けてくれる人や楽しいことが沢山あるから
君も元気で過ごしていますか?
いつか会いにきてくれるその日まで。
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