僕がパーソナルスタイリストになった理由が先日わかりまして
理由は、
母を綺麗に自分らしく生き幸せになって欲しかった
僕の母は母の実家が自営業(寝具店)だったので、安定した収入と休みのあるサラリーマンである父と結婚しました。
そこから数年後、姉と僕が産まれました。
同居する姑と母の関係は修復が困難なほど悪くなり、
父が建てた二世帯住宅から夜逃げするように、家族4人で小さなアパート暮らしと、脱サラしてお弁当屋さんになる事となりました。
夫婦喧嘩するたびに母は『サラリーマンと結婚したはずだった。こんなはずじゃなかった。』
と愚痴をこぼしていました。
毎日毎日、自分の事を後回しにして家族を優先、
我慢、我慢、我慢ばっかり、
僕が18歳で地元を離れるまで、年に数日しか休みが無かったと記憶しています。
いつも油でベトベトな服を着て、自分らしさを無くしてしまった。
そんな母を見て育った僕は、煩わしく思うことも沢山あったけれど、母の人生を自分らしく楽しく美しく生きてほしかった。
僕が母を助けたかった。
自分らしく生きる女性を本来の姿に戻す、
パーソナルスタイリストの仕事につきました。
母を綺麗に自分らしく生き幸せになって欲しかった
僕の母は母の実家が自営業(寝具店)だったので、安定した収入と休みのあるサラリーマンである父と結婚しました。
そこから数年後、姉と僕が産まれました。
同居する姑と母の関係は修復が困難なほど悪くなり、
父が建てた二世帯住宅から夜逃げするように、家族4人で小さなアパート暮らしと、脱サラしてお弁当屋さんになる事となりました。
夫婦喧嘩するたびに母は『サラリーマンと結婚したはずだった。こんなはずじゃなかった。』
と愚痴をこぼしていました。
毎日毎日、自分の事を後回しにして家族を優先、
我慢、我慢、我慢ばっかり、
僕が18歳で地元を離れるまで、年に数日しか休みが無かったと記憶しています。
いつも油でベトベトな服を着て、自分らしさを無くしてしまった。
そんな母を見て育った僕は、煩わしく思うことも沢山あったけれど、母の人生を自分らしく楽しく美しく生きてほしかった。
僕が母を助けたかった。
自分らしく生きる女性を本来の姿に戻す、
パーソナルスタイリストの仕事につきました。
3時間のスタイリングを受けた後のお客様の笑顔に母にしてやれなかった事が出来たなと、そう思えるのが最近の一番の幸せです!
僕の夢は、日本中、世界中の変わりたい人を服で人生を楽しめるようにする事です。
追伸
母は、とても元気です。
近頃の両親は仕事も引退して、孫にも恵まれ
父は家庭菜園を生きがいに
母は毎日お友達と楽しく遊んでいるそうです。
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